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2004年12月25日
私的福岡球団史
地元から球団が無くなる、というのは、関東のファンにはあまり想像がつかないかも知れない。
だが、長い日本プロ野球の歴史の中で、かつて様々な球団の変遷があり、現実に応援する球団が消失してしまった、という経験を持つファンも少なくない。悲しいかな、近鉄バッファローズもそこに名を連ねることとなった。
今年のこの激動を迎えるまでは、阪急ブレーブスと南海ホークスの買収劇が記憶に新しかった。(と言ってももう16年も前のことになる)
そのHawks買収によってダイエーが本拠地に定めた福岡のファンは、かつて西鉄ライオンズというオラが球団の栄光と没落、そして買収、所沢移転を経験していた。
私は幼少の頃より、福岡で育った。
物心ついた頃、既にLionsは凋落の一途をたどっていた。黄金時代は知らない。
チームが弱体化しつつあった頃、そう、東尾がルーキーの年だったと思う。八百長事件、俗に言う「黒い霧」事件がとどめを刺す。これにより主力選手を一気に失ったライオンズは、坂を転がり落ちるかのように一気に奈落の底へと落ちていく。
小学生の頃、西鉄ライオンズから太平洋クラブライオンズへ、そしてクラウンライターライオンズへとチームは変わった。だが、名前が変わろうと、ユニフォームが格好悪くなろうと、チームの本拠地は平和台球場だった。
しかし、元来、博多っ子は熱しやすく冷めやすい。
チームの弱体化とともに客足が遠のき、気付けば、ある日、西武に買収されたLionsは所沢へと本拠を移す...今更ながらに後悔しても、もう手遅れである。忘れもしない、小学5年のとき。
熱しやすく冷めやすいが、博多っ子は頑固でもある。
Lionsに地元を去られても博多っ子はLionsを応援した。ある意味、福岡にいた晩年以上に。
西武ライオンズとなってチームは強くなる。そして、いつしか遂に優勝を遂げる。それを見守りながら、喜びとともに一抹の寂しさをも感じたのを強く覚えている。その寂しさは年を追うごとに膨らんでいった。
Lionsは生まれ変わった。秋山、清原、石毛、渡辺久信、工藤といったスター選手を擁したLionsは球史に残る黄金時代を築く。しかし、この強いLionsは、Lionsであっても既に福岡の球団、オラが球団ではなかった。
福岡の野球好きには寂しい時代だった。福岡ではLionsが去ってからしばらくして熱心な球団誘致運動が始まった。
Lionsが福岡を去って10年。
1988年、その球団誘致運動が結実する。
大阪の名門球団、南海ホークスがダイエーに買収され本拠地を平和台球場に移すというのだ。
しかし、それはそれで当時、正直複雑だった。その昔、Lionsと優勝を争っていたHawks、かつては杉浦、野村といった名プレイヤーを輩出した名門だが、当時既にその面影はなく、万年Bクラスに甘んじるお荷物球団と化していた。しかも、当時主砲の門田は福岡行きを拒み、やはり同年オリックスに買収されたBravesに移籍するというオマケもついた。
しかし、である。
どんなに弱くとも、スタープレイヤーがいなくとも、待望の地元球団が再び生まれたのだ。
このとき、博多っ子の反応ははっきり2分された。
頑なにLionsを応援するもの、暖かくHawksを見守るもの。私は後者だった。やっぱり地元チーム、オラが球団を待ち焦がれていた。
ダイエーは当時、チームに豊富な資金を注ぎ込んだ。
ファンも、いつか強くなると言い聞かせながら一生懸命応援していた。当時大学生だった私は、極力TVで観るよりも球場に足を運んだ。
振り返ってみれば、私は小学生の頃、大の野球好きだった。だが、中学、高校と野球部には入らなかった。社会人になり草野球を始めた頃、身体も大きく他人より図抜けて肩も強いのを自覚し、私はそれを大いに後悔したが、もし、中学、高校の時分に地元に球団があったなら...私はHawksが福岡に来てからと同様にもっと野球にのめり込み、自身も野球をしていたかも知れない、とすら思ってしまう。
Hawksが福岡に拠を移してから、平和台でのゲームでは、圧倒的にHawksファンがスタンドを占めていた。
だが、Lions戦だけは例外だった。
レフトスタンド、ライトスタンドがセンターを境に真っ二つに割れていた。博多っ子は本当に頑固だ。
4年経って福岡ドームという立派な器ができ、監督には世界の王貞治を迎えた。でも、チームは弱いまま...。
太平洋クラブライオンズでも指揮を執り、博多っ子の気質を理解する根本陸夫はLionsから石毛、工藤をFAでとり、驚愕の主力選手3対3のトレードで首位打者&盗塁王の佐々木、若きエース村田を放出してまで熊本出身のLionsのスター選手秋山を獲得する。
負け犬根性の染みついたチームに、勝つ喜び、勝ち方を知る、勝ちに執着する野球をする血を注入した。というのも、然り。そして、福岡の根強いLionsファンの取り込みをも考えていたに違いない。
折しもこの頃、福岡時代からの唯一のLions生え抜き投手、東尾が引退する。
この頃からLions戦においても、外野席でHawksを応援するファンのほうが多くなっていったような気がする。
福岡にHawksが移転した当初、地元の経済界は地元球団誕生を歓迎する一方で、神戸を拠点とするダイエーの福岡進出に著しい警戒感も示していた。既に地元スーパーのユニードもダイエーに買収されていた。
だが、Hawksが徐々に強くなるにつれ、球団のもたらす地元への波及効果が少しずつ認知されていく。
そして、初優勝の1999年。
それまで、球団キャラクターを広告などに使用する場合に要求していたキャラクター使用ロイヤリティをHawksは完全撤廃。これにより、地元商店街から福岡経済界までが完全にHawksの応援についた。
そして、念願の待ちに待った初優勝、日本一。
そこで改めてその経済効果の大きさを福岡経済は体験する。以来、ファンだけでなく地元経済界にとってもHawksは宝になった。
今や博多っ子のHawksへの愛は盲目的と言ってもいい。だが、そこに至るまでには、様々な葛藤があった。それを経てきたからこそ、かつてのLions以上にHawksを愛している。
常勝軍団を作る。
自身が、Giantsでなし得なかった目標を胸に、九州は博多へ、そして人気あるセ・リーグからパ・リーグへと身を転じた世界の王も、最初の3年間は辛酸を舐め続けた。
Giantsファンでもない私は、王のGiants監督時代の采配を見て「名選手、名監督ならず」を地でいく存在と感じていた。当然、Hawksの監督に王が就任する、と聞いた最初の反応は、「うぇ~?!マジ?!勘弁しちゃりやい!」
正直、客寄せパンダはもう田淵で充分、本当にチームを強くしてくれる監督が欲しいと思った。
おそらく、圧倒大多数の福岡のファンもそうだったろう。初優勝したのは就任5年目のこと。それまではいろんなことがあった。
ちっとも強くならないチームにしびれを切らせたファンから、王監督に退任を迫る横断幕が掲げられ、連敗中にバスに乗り込む際には生卵を投げつけられた...。
今、思えばファンにあるまじき悪行である。
が、かくいう私も、恥ずかしい限りだが、スタンドから「王、さっさと辞めんかぁ」などと罵声を浴びせたことがある...。
1999年9月25日。
私は福岡ドームの1塁側スタンドにいた。初優勝の瞬間である。
だが、目の前の優勝の光景がほとんど記憶にない。ボロボロに泣いた。人間ってこんなに涙が出るんや、と思うくらい涙が出続けた。
頭の中には、クソ弱かった頃にチームを支えた、佐々木や岸川、山本和、山内孝、村田といった顔が浮かんだ。目の前で行われている胴上げ、優勝セレモニーは涙でにじんで全く見えなかった。
その頃になって初めて伝え聞いたエピソード。
Hawksが勝てない時期、中州のとある店で。
サラリーマンの上司と部下2人、計3人が飲んでいたところに、王監督が入ってきた。ベロベロに酔った上司が王監督に絡みはじめる。
「何で勝てんとや?」
「さっさと辞めやい」
上司はひとしきり文句を言い酔いつぶれたらしい。王監督に申し訳なく思った部下2人が、王監督に「すみません。ご迷惑をおかけしました。」と謝った。その若い2人に王監督はこういったそうだ。
「これだけHawksを愛してくれているファンに応援されている我々は幸せです。見ていてください。必ず優勝してみせますから。」
これを聞いてまた私は涙した。それとともに申し訳なくて申し訳なくてたまらなくなった。そんな人間に、自分は何も考えず、あんなことをいっていたのかと思うと情けなくなり、自らを恥じ、胸の奥で懺悔をした。
確かに、Giants時代はいうに及ばず、Hawksの監督に就任した後も、王の采配に異論を唱える声が多かったのは事実だ。しかし、王監督は福岡に来て、年を追うごとに変わっていった。私が言うのも失礼だが、王監督自身も成長したように思う。正確に言うと、采配自体はさして変わっていないかも知れない。だが確実に目に見えない何かが変化した。眉間のしわしか印象にないGiants監督時代には見せなかった様々な表情を、Hawksベンチでは見せている。
改めて考えるまでもなく...
世界の王が、パ・リーグ、しかも地方都市の福岡に来たのだ。
その決断の裏には、物凄い葛藤があったに違いない。感覚的には「都落ち」だろう。(かつて、Lionsを率いた三原も同じ経験をしている)
そして、さらに想像以上に勝手が違った。
当時のチームには勝つこと、優勝することへの執着がなかった。シーズン当初に「目標は優勝」と言われても誰も本気にしなかった。
常に、自らを高めることに目標を置き、そしてチームの優勝と日本シリーズ制覇を義務づけられていたGiantsの王貞治から見れば、同じプロ野球チームとは思えないような状況だったに違いない。
そして選手もその違いを感じていたようで、どことなく遠巻きにしていたようだ。
今の礎を築いた故根本球団社長は1999年春のキャンプで選手にこういった。
「オマエら、何を遠慮している?何をビビってる?同じ人間やないか。あいつ(王)はただのラーメン屋の息子やぞ。」
その年の4月、根本氏は急逝、チームはその年に初優勝を飾る。
確かに、監督としては喜怒哀楽が激しく、気が短くて、頑固で......一般的にいわれる監督の適性でいえば、向いているとはいえないのかも知れない。だが、だからこそ、小久保や城島、松中を根気よく育てることができ、10年という月日を経て、球史にも稀に見る、とんでもないチームを作り上げることができたのだろうと思える。
小久保は「4番は作れるものではない。4番を打てるのは特別な才能を持つ者だけだ。」という信念(今にして思えば小久保へのメッセージとも言えるが)のもと、どんなに酷い成績でも4番を打たされ続けた。本人も辛かったろう。だが、王は決して変える素振りすら見せなかった。
その王に、英才教育を施され、常に上を目指す意識を叩き込まれた小久保は、いつしか背中でチームを引っ張る存在となり、それに触発されて松中や斉藤が成長した。
そして、王のスピリットを継承した小久保自身は、今や王のいたGiantsの中軸にいる。
城島は王監督就任の年に入団している。中学生のときに開催された野球教室で、王貞治に「君は将来プロ野球選手になれる。一緒にプレーしよう。」と言葉をかけてもらったのも何かの縁か。
その彼も、優勝の前のシーズンに王監督との確執を伝えられたりもした。
「いいキャッチャーを育てれば10年はチームが保つ」といって城島をとったのが根本。
そして、城島のような最初どうしようもなく下手くそだったキャッチャーを、「優勝するチームをつくるためにコイツ(城島)を正捕手として育て上げる」といって、どんなに批判されても外さなかったのは王だ。そのために、城島を育てる、それのみを目的に、元Lionsの若菜をバッテリーコーチに呼んだ。
もともとバッティングには天賦の才がある。
長嶋茂雄の育てた傑作が松井秀喜という王貞治タイプのバッターで、王貞治の育てた傑作が城島健司という天才肌の長嶋茂雄タイプのバッターであることが面白い。
結果として、王貞治は、負け犬根性が染みついたHawksというチームを根本から作り直し、選手一人一人の意識に、現状に甘んじることなく、常に上を目指す姿勢を植え付け、常勝チームの礎を築いた。
その実績は、あの王自身を解任したナベツネをして「Giantsへの復帰もあり得る」と言わしめた。実質的なラブコールである。(もっとも、本人王監督は親しい記者に「何を今更」とか、去年の原の事実上の解任劇を見て「福岡で良かった」と発言している。)
ここ数年、王監督は常に自分の引き際となるタイミングを探していた。完璧主義者だけに、良い形で次代へ引き継ぎたいと考えているようだ。Hawksファンとしては、少しでも長く、できることなら体力と気力が続く限りは監督を続けて欲しい。だが、それも無理な相談だ。
その来るべき時に備え、次代を担う秋山が2軍監督に就任した。
そして自身は、孫正義の要請により、GM兼任監督となる。
これにより、監督を退いた後も、チーム全体の編成・運営という重要な役割を担うことがほぼ確定的となった。
今のHawksというチームは、根本陸夫と王貞治、二人のコラボレーションが生み出した球史に残る傑作である。その王貞治が監督退任後もGMとして関わるなら、こんなに心強いことはない。
経営不振にあえぐパ・リーグにあって、Hawksは毎年観客動員記録を更新し、平日のゲームですら毎試合福岡ドームは4万人を超える大入り。12球団で見渡しても、この観客動員力はトップ3に入る。
だが、毎年のように親会社ダイエーの極度の経営不振買収を噂されていた。
博多っ子、全ての共通の思い...
もう二度と福岡から球団がなくなるようなことはあって欲しくない。
あの後悔はもう味わいたくない。
Hawksのない博多なんか考えられない。
地元球団が無くなる...そんなことは二度とゴメンだ。
だから...博多っ子は福岡ドームに足を運んだ。
昨日、ダイエーの遺志を受け継ぎソフトバンクへのHawks譲渡が正式に決まった。
ソフトバンク孫正義は500もの球団名の候補を前に悩んだという。
だが、地元のタダならぬ熱意に押され、結果、「福岡」と「ホークス」の名を継承、「福岡ソフトバンクホークス」に。
そして、今や福岡の街のシンボルといっていいほど定着した応援歌「いざゆけ若鷹軍団」も継承するという。
マスコットのハリーホークも、ソフトバンクのコーポレートカラーのイエローに染まりながらも、ロゴマークにしっかり鎮座している。
昨シーズン、BuffaloesとBluewaveの合併騒動の渦中に、HawksとMarinesとの第2の合併もまことしやかにささやかれた。事実、パ・リーグ会長からは、10球団1リーグ化を推進するために、合併を促す文書も配布されていた。
それを頑なに拒み続け、ソフトバンクへの売却という、もっとも素直で抵抗の少ない策をとってくれたダイエーには感謝したい。
そして、博多っ子の胸の内を汲んでくれたソフトバンクにも。
新たな黄金時代を迎えるHawksの新たな門出である。
※ 本エントリーは、新生Hawksの誕生を機に、過去のエントリー
王監督1000勝おめでとう。そして、ごめんなさい。ありがとう。
地元球団が無くなる日...
に、加筆訂正を加え再録したものです。
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» 負け犬根性論 from 一生懸命!!
以前「福岡ダイエーホークス」の公式ホームページに「FAN’S OPINION」 [続きを読む]
トラックバック時刻: 2006年05月23日 08:51
Comments
こんにちは。
興味深く読ませてもらいました。
俺もライオンズを応援した時もありましたが、
立花選手がいなくなった時にライオンズの応援を
やめました。
尤も西武ライオンズは福岡時代の歴史を異様な程に消したがって
いましたからね。
ホークスが来た頃のライオンズ戦はホント球場が
二分されてましたよね。どっちかというと最初は
ライオンズファンの方が多かったかもしれませんね。
まあ、そういうライオンズに去られてという苦い経験が
あるからこそ、この福岡でホークスという球団が
ここまで皆に愛されるチームになったというのは
否定できないと思います。
投稿者 夢屋 : 2004年12月25日 11:50
夢屋さん、どうも。
正直、Lionsに去られた経験なかったら、初優勝するまでの10年間もあの弱い弱いチームを応援できなかったろうと思うんですよね、自分でも。
でも、出来の悪い子ほどカワイイ、というか何というか、あの頃はあの頃で一生懸命いいところ探して応援してましたね(苦笑)。
今より1勝の重みがあって(笑)、勝ち試合を見るととても嬉しかったのを覚えてます。
投稿者 HiRO@zetton05 : 2004年12月25日 13:03
文章を隅々まで読ませていただき、とても感銘を受けました。
全く、同じ気持ちです。
ファン心理は、現場から見る言い方で例えれば、やや勝手なもので、「勝てば官軍」ではないですが弱ければ容赦ない罵声を浴びせてしまいます。
私も、ホークスが弱かった頃は「高い小遣い=給料ばかりもらっても勝てやしない、金持ちのドラ息子球団」「バカ鷹軍団」などと友達とののしっていました。
今こうして応援していることを思えば、そのようなことを口にしていたことを非常に恥ずかしく思います。
本当にダイエーには、そして王監督には感謝の気持ちです。本当に素晴らしい球団にしてくれました。
言葉であれこれと申し上げるのがはばかられるので、手身近で失礼かと思いますが、コメントのみさせていただきます。
これからもホークスを応援していきたいですね。
投稿者 mstyle_bb : 2004年12月27日 17:34
mstyle_bbさん、コメント&TBありがとうございます。
王や秋山の常に自分に厳しく高い頂きを目指す背中を見て育った若鷹たちは本当に肉体も精神も逞しくなり感無量です。
私はファンとしても、王監督に成長させてもらった気がしています。
今となっては1年でも永く監督を続けて欲しい、Hawksと福岡との間に結んだ絆を保って欲しい、と思っていますが、今回GMに就任したことにより、いつかは訪れる監督退任後の関わりも明確になったのでホッとしています。
(孫正義の暴走を止められるのも王監督しかいないでしょうし)
これからも、暖かく、また時には厳しく、Hawksを見守っていきたいと思っています。
今後ともよろしくお願いします。
投稿者 HiRO@zetton05 : 2004年12月28日 12:23
こんばんわ。はじめまして。
いちホークスファンのびおびおと申します。
ファンと言っても、あまり詳しくなく、ただただ、試合のゆくえとチームの動向やファンの皆さまの熱い思いを追いかけてるばかりです。
お話、読みながら、目頭が熱くなり、書かせていただいてます。
ホークスで育った選手たち、育てた監督やスタッフの方々、支えるファンの真剣な気持ちを、いままでを振り返りながら、感じました。
ダイエーからソフトバンクに変わったとき、大変心配しましたが、ファンの気持ちをくみ取ってくれた孫社長の心意気に、感じ入りました。
こんなに気持ちのいい話が沢山出てくる球団は、ほかにはないのではないでしょうか。
本当に、ホークスは幸せな球団だと思います。
この「幸せ」が今まで見に来たことのない人も
「球場にいってみようかね」と引き寄せると思います。
いつも中継の私も今年は、見にいきたい。ちょっと遠いけど。。
長々と失礼しました。
投稿者 びおびお : 2005年01月22日 22:49
びおびおさん。
初めまして。ようこそ。
そう、Hawksは強いだけでなく本当に一人一人の選手が高い意識をもつ素晴らしいチームになりました。それも王貞治の背中が育てたものだと思います。野球を通じて、いろんな感動を貰いました。
今後のHakwsも楽しみです。
また気軽にコメント残してください。
今後ともどうかヨロシクお願いします。
投稿者 HiRO@zetton05 : 2005年01月22日 23:41
トラックバックありがとうございました。
そしてはじめまして。
ここ数年は激動のホークス、そしてプロ野球ですね。
こんな移り変わりを目の当たりにできるのは
そうそうないことだと思ってます。
ダイエー最後のゲームになりそうだと去年も福岡まで
足を運びましたが、今月はソフトバンク元年をこの目で見るべく
福岡に飛んできます。ついに野球もシーズン開幕間近ですね。
うちの家庭の平和のためにもいい試合をしていってほしいです(笑)
投稿者 panda : 2005年03月14日 18:18
pandaさん、どうも初めまして。
昨年、Hawksが無くなるかも知れんかったときにゃ、もう野球なんか見らんっっ、と酔っぱらって泣いとりましたHiRO@zetton05です。
野球のある幸せ、噛み締める機会があったのは良かったと思いますが、もう2度とあんな気分味わいたく無いのも確か。
開幕を迎えるのがこんなにも嬉しいとわ!
毎年、これを味わいたいもんです。
投稿者 HiRO@zetton05 : 2005年03月15日 01:03
今回の城島騒動の記事を追いかけていたら、HIROさんとこにたどり着きました。(以前ブログしてた頃、コメントしたり、何度かTBしていただいた者です)
球団に対して、城島に対して、色んなこと言いたい。
けど、すでに過去のこと。
「さよなら、JOH…」私もこの言葉しか、見当たりません。
以前から野球感やHawksへの愛情は共感してましたが、何気に立よった「私的福岡球団史」感動しました。
Hawksが博多に来るまでは、ガキの頃熊本にいましたのでG党でした。ONに憧れて野球してましたし。
その生い立ちを除いては総てに共感しております。
気づいたら、私も人生の半分以上を博多で過ごしております。
平和台で、鷹党として、Lionsファンの残党を見ながら、一升瓶かかえて悔しがっていたのを思い出しました。
9.25 ドームで涙して、中州で酔いつぶれた日を思い出しました。
やっぱ「オラが球団」ですよね。
HIROさんの記事を見て、城島問題、終止符打てそうです。
ありがとう。
また 遊びに来ます。
来季の阪神戦には またNLのキャップかぶって ご帰福くださいね!
投稿者 Kazz#52 : 2009年10月28日 00:50
Kazz#52さん
コメントありがとうございます。
> HiROさんの記事を見て、城島問題、終止符打てそうです。
こちらこそありがとうございます。
私にとっては逆に、このKazz#52さんの一言が、吹っ切るきっかけになりました。
良いタイミングで良いコメントをいただいて、感謝、感謝です。
私が過去に書いたものでKazz#52さんが区切りをつけて、それを聞いて私が区切りをつけて…変なもんですね(笑)
また来てください。
本当にありがとうございます。
今後もよろしくお願いします。
投稿者 HiRO@zetton05 : 2009年10月28日 18:28