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2005年01月05日

愛すべき老野武士!野球は愉しいね!

オリックス・バッファローズ新監督仰木彬、新年から早速かましてくれた。

楽天入りの決まった岩隈に
「打者にはバントして、あいつの足を踏みつけるぐらいの闘争心を持って欲しいわな。大阪ドームで多く登板して欲しい。」
フロントに対しては、「考えれば考えるほど難しいな。フロント、編成しっかりせいよ。」チラリと本音も。

わっはっはっ!
お屠蘇気分のほろ酔いの顔が見えるやないか!
単なる酔っぱらいやけん、このおっさん。そんなビビることないばい、伊東しゃん。「仰木マジック」に。
今年はこの老野武士の復活が愉しみだ。ワクワクする。

昨年末より、孫正義ホークス新オーナーが、メジャーリーグを凌駕するチーム作りの構想を披露し、プロ野球界に一石を投じている。
反応は、期待感を持つもの、批判的に見るもの、など様々。
が、その意気や良し!
願わくば、是非とも球界全体を見渡し、地に足をつけた改革を実行しながら、夢の実現に努めていただきたい。

混迷を極める日本プロ野球界。
そこには今から半世紀以上も前に、メジャーリーグの野球を夢見た元祖「マジック」がいた。

三原脩。

福岡の古い野球ファンには、今さら説明するまでもない人物だ。

「僕はこのチームを大リーグでもやっていけるようなチームにするつもりです。」
実権を水原茂に奪われ居場所を無くした三原が、1951年「我れ雌伏して中原に覇を称えんとす」との言を残して読売巨人軍を去り、西鉄ライオンズ監督に就任した頃の発言だ。

三原自身は、早大野球部時代に日本初の職業野球チームと契約した、職業野球契約選手第1号。いわば日本プロ野球創成の原点を体験している。その日本プロ野球誕生の理念を持ち続けていた。
そして、まさに大リーグのようなチームに西鉄ライオンズを育てあげる。「野武士」とも形容される超個性派集団を実に巧みにまとめ上げ、西鉄ライオンズ黄金期を築いた。
そして、この後、三原脩は1960年大洋ホエールズ監督に就任、6年連続最下位のチームを見事日本一に導いている。

面白いのが、「野武士集団」西鉄ライオンズを率いた後、大洋ホエールズでは全く違ったチームを作り優勝させている。
大洋ホエールズには、稲尾、豊田、大下、中西といった「野武士」はいない。
三原は、ここではキャッチャー土井淳を中心に、アンダースローのリリーフ秋山登に繋ぐ、合理的な守りの野球を展開している。当時、投手を小刻みに繋ぐ野球は画期的だったはずだ。

往年の西鉄ライオンズから、三原野球を野武士野球、放任野球と称する声は良く耳にする。
だが、その後の大洋ホエールズでの在り方も踏まえるならば、その表現は正しくはない。
「三原野球」「三原マジック」の本質とは?
いうなれば、勝つことのみを目的とした合理主義。形にはこだわらない。
「今のこのメンバーで勝つためにどうするのか」というテーマ設定があり、それに適う戦略、用兵を徹底して行う。野球のスタイルに選手をはめていくのではなく、とにかく今ここにある選手で最高の結果を出すためのスタイルを作る。

その三原野球を受け継ぐスタイルの監督が二人いる。

それが、仰木彬。
そして、権藤博。

三原野球を、三原と同じ2塁手として体験した仰木彬が、そこから多くを学んだであろうことは想像に難くない。
九州は鳥栖出身の権藤博は、稲尾和久に心酔していた。そして、その仰木政権下の近鉄バッファローズの投手コーチとして、仰木野球を体験している。その意味では間接的に三原野球を引き継いだ。そして、前身を大洋ホエールズにもつ横浜ベイスターズを、奇しくも、抑えの佐々木に繋ぐ合理的野球を体現し38年ぶりに日本一へ導いたのは記憶に新しい。

思えば、仰木彬なくして今の野茂もイチローもいない。仰木監督でなかったら、フォームを矯正されて並みの選手になったか、もしくは出場機会を与えられないままひっそり引退した可能性だって否定できない。
それにしても、仰木彬の輩出したメジャーリーガーの多いこと多いこと。
野茂にイチロー、吉井に長谷川、田口。
選手の個性を最大限に引き出しながら、チームとしてピースを組み合わせていく巧みさ。
ひょっとすると、仰木のもとで、マック鈴木あたりが大化けするかもしれない、と思わせてしまうものがある。

近鉄時代の野茂、清原に真っ向勝負して打たれることも多かった。
それをインタビュアーに問われた仰木彬の弁。
「変化球を投げてくれれば、と思うことはある。フォークなら空振りがとれたろう、と。しかし、若い二人が力勝負に行って思い切りぶつかり、一歩も引かない。勝つことも負けることもある。それでお客さんが喜んでくれるなら、それもまたいいんじゃないでしょうか。」
野武士野球の体現者は、プロ野球、職業野球の本質を知る。

そういえば、かつて、オリックス監督在任中だったと思うが、福岡県東筑高出身の仰木が、福岡のチームで指揮を執りたいと希望しているという噂を聞いた。当時、結果のでないHawksに業を煮やしていた私は是非とも実現して欲しいと思った。そう、近鉄、オリックスでの指揮ぶりを見て、仰木采配には何かしらワクワクする、胸躍る期待感のようなものを感じていた。

本当の意味での、パ・リーグ元年といってもいいこの年、その老野武士仰木彬が現場に復帰する。
既に69歳。もう年齢的には正直、現場の監督はキツいだろう。
だが、近鉄とオリックスが合併した球団に夢を見せてやれるのは彼しかいまい。
この合併劇で、おそらく多くのファンの気持ちも離れたであろう合併球団の再起のために、老体に鞭打って火中の栗を拾うとは、痛み入る。頭が下がる。
オリックス幹部ども、この名将を自分らの尻ぬぐいのために利用するだけ利用してポイ捨ては許さんからな。
オリックスという企業、球団は全く応援する気になれないが。
新たな合併球団での仰木彬、パ・リーグにまた愉しみが増えた。

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投稿者 zetton05 : 2005年01月05日 15:06

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Comments

あけましておめでとうございます。TBありがとうございました。今年もよろしくお願いいたします。
仰木監督の現場復帰は「サプライズ」だったわけですが、実は彼の福岡への想いを窺わせる発言が「記者達の平和台」に載っているのです。
「僕はまだ自分の家がないんだよ。(中略)はやく福岡に落ち着きたいけど。」
これはスポニチの記者に話したことだそうで、近鉄監督を退任する時の発言だそうです。あの頃ホークスは色々と揺れていましたが、仰木さんの心のなかには「自分がホークスを何とか・・・」という思いがあったのかもしれません。実際に1年間KBCの非常勤の解説をしておられましたから。

投稿者 number8 : 2005年01月06日 00:36

number8さん
明けましておめでとうございます。
こちらこそ、いつもありがとうございます。
今年もどうかヨロシクお願いします。

あの頃のHawks、仰木さんに率いて貰ったらどうなったろう。そう夢想したことがあります。佐々木、岸川、吉永、山本和...活きのいい荒削りなバッター多かったんで、仰木さんは適任かなっと。いてまえ打線見ながら福岡の人間はみんな「野武士野球」を思ったはず。
でも、福岡を離れてこんなに長く地元に愛着を持ってくれとるのも嬉しいっすね、福岡の人間として。(って私らもそうなんですが)

投稿者 HiRO@zetton05 : 2005年01月06日 01:23

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