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2006年10月14日

[Hawks]

もうひとつの、想い、願い

こっちのエントリーでサラッと触れると早速の動き。嬉しいね。

ソフトB3年10億、FAで巨人小久保獲り

何故、小久保、小久保と騒ぐのか。
Giantsでの小久保の成績や、現在のチームの若返りの方針に反するのではないかという疑問などもあって、特に、最近ファンになった方には理解不能かも知れない。

小久保裕紀。
93年ドラフト2位。

1999年、初優勝のシーズン。小久保裕紀は極度の不振に苛まされる。4番を打ちながら、2割台前半の打率。自ら、4番を外してくれと監督に懇願したこともあったと聞く。だが、王監督は「4番は作れるものではない。4番を打てるのは特別な才能を持つ者だけだ。」と頑なに彼を4番で使い続けた。
1999年の優勝は投手陣の活躍によるところが大きかったが、その年の不甲斐なさをバネに、小久保はその翌年、自らのバットでチームを牽引し、2連覇を果たす。その姿勢が後輩にも大きな影響を与える。

その圧倒的な練習量の豊富さとキャプテンシー。
彼と秋山幸二がいなければ、1999年以降のHawks黄金期は未だに訪れてはいなかったかも知れない。紛れもなく、今のHawksの礎を築いた立役者の一人だ。

松中信彦は、公私ともに親しい小久保から4番を奪う、と宣言し、自らの目標とすることで打者として大きく成長していった。

斉藤和巳は、肩の故障で入院する病院で、同じく故障で入院していた小久保から常により高い目標を持って野球をする意識を徹底的に植え付けられた。今でも自主トレを一緒に行っているのは有名だ。

今でこそ、チームの精神的支柱として、昨年なら松中信彦、今年なら斉藤和巳の名前が挙がるが、この2人が慕い続け、強烈に影響を受けた、チームの精神的支柱が小久保裕紀だった。

事実、2003年のオープン戦で右膝靱帯断裂という重傷を負い、2003年シーズンを棒に振った小久保だったが、その年のチームの精神的支柱も小久保。選手達は、自ら帽子のツバに小久保の背番号「9」を書き込み、「小久保さんのために」を合い言葉に、一丸となって日本一に輝く。

その2003年オフ、不可解な無償トレードでGiantsに放出。
その背景には、当時の球団社長にしてオーナー代行、後にセクハラで逮捕された高塚猛との確執があった。
オーナーは中内正。とはいえ、このボンボンのお坊ちゃまには既になんの影響力もない。当時、親会社ダイエーは既に経営再建の道を模索していた。福岡ダイエーホークス、福岡ドーム、ホテルシーホークの俗に言う3点セットの売却も視野に入るなか、球団売却に抗する中内正オーナーを解任しようという動きも本社側にはあったようだ。
そんな中内正の後ろ盾になっていたのが高塚だ。
高塚はダイエーグループのオリエンタルホテル再建などで名を上げ、1999年に球団経営に携わると、ホテルと一体となった企画や営業を行いホテルの集客とドームの集客をあげていった。その彼の後ろ盾が無ければ、中内正は本社に物申すどころか、自身のオーナー職ですら危うい状況だった。
一方で、この時期、高塚による球団の私物化が、選手の間では問題になっていたらしい。知り合いを勝手に試合前のベンチ内に連れてきて、サインをさせたり記念撮影をさせたり。それに物申したのが選手会長でもあった小久保。当然、高塚は煙たがる。この確執が、小久保放出という異常事態にまで発展した。
2003年、オープン戦で怪我をした小久保は米国に渡り手術を受けるが、その費用2,000万円を、球団は一切出さなかったらしい。ゲーム中の怪我、言わば「公傷」であったにも関わらず、だ。小久保に球団への不信が芽生えたのは想像に難くない。そして、相変わらず続く高塚との確執。
ある噂によると、高塚と小久保の板挟みに悩む中内ボンボンに、高塚は最期にこう迫ったという。「小久保と俺のどちらをとるのか」と。
当時、既にダイエー本体の肩書きが全て外れ、残ったオーナー職にしがみついていたい一心の中内正に選択の余地はなかった。本人にしてみたら涙ながらの選択だったかも知れないが、客観的に見りゃ、ただ単に、自身の保身に走っただけのこと。ま、このボンボンはそんなことすら自覚してなかったのかも知れないが。
結局、ダイエー本体の経営再建と中内ボンボンと高塚による球団私物化の犠牲者として、小久保はGiantsに無償トレードという信じがたい形で放出された。
また、当時、外資が福岡事業3点セットの経営権を買いとるという可能性も示唆されていたなか、ハゲタカファンドが持ち主になれば球団解体、と脅す人物がいた。当時まだGiantsオーナー職にあったナベツネである。そのナベツネに、外資が入ったとしても、中内-高塚体勢であれば良しとする了解を取り付ける、その人身御供に差し出したとの話しもある。これも自身の保身以外の何者でもない。
しかも、無償トレード。
通常は、ある程度のベテランや戦力外の選手に対して行われる措置だ。中軸選手の小久保を出すなら、当然その見返りとしての選手や金銭を得ようとするのが、球団経営としての真っ当な姿だ。これでは、チームにとって、戦力ダウンして何ら得るものがない。

3年前、優勝パレード翌日の11.4。突然の無償トレード発表。
会見で、何故か泣くじゃくる中内正の横で、対照的に、毅然と「自分からトレードに出してくれとお願いした」という小久保。せめてもの、小久保のプライドだったのだろう。

日本一の歓びも一転。

「もう、この球団は勝たなくていいんでしょうね。もうおしまいですよ。ファンには悪いけど、連覇したい気持ちも薄れました。」
これは当時の松中信彦選手会長のコメント。
この小久保放出に選手会が猛烈に反発し、日本一の祝賀ムードもどこへやら、優勝旅行をボイコットするのしないのと大騒ぎになった。
この一連の騒動は、王貞治をして「日本一になっても何にもいいことがない」という、忘れ得ぬ哀しい一言を言わしめてしまう。

会見のあったその夜、食事をともにした王監督と小久保は2人で悔し涙を流したという。
未だに背番号9を空けてあるのは、王監督の強い意向によるものだ。

その王監督も、このフロント首脳によって繰り返されるゴタゴタ劇にウンザリしていた。2004年オフにソフトバンクに買収されてなければ自分もきっと辞めていた、と2005年の春、親しい記者に語ったという。


小久保の復帰が実現すれば、右の大砲、そして3塁手という戦力的なニーズに合致するだけでなく、それ以上に、チーム再建に対しても有形無形の効果をもたらすだろう。
松中、斎藤が小久保の影響を受け、ここまでの選手に成長したように、若手の良き手本にも相談相手にもなるだろう。
そして、チームの精神的支柱たらんと、必死でナインを鼓舞し、チームを引っ張り続けてきた松中や斎藤の負担も減らしてくれるに違いない。
さらには、将来的な球団幹部、秋山幸二のサポート役として、また、秋山幸二の次代を担う監督候補としても、彼以上の適任者は思いつかない。

つまり、小久保裕紀の復帰を考えるのは、目先の戦力として以上に、Hawksというチームの10年の計を見据えてのもの。


井口や、城島は自らの選択としてMLBでの挑戦を選んだ。
だが、小久保はそうではない。本人が望んでGiantsに行ったわけではない。現に、2003年の9月、小久保は福岡に家を購入している。自ら放出を望む選手が、その直前に福岡に家を購入する訳がない。

とはいえ、小久保の復帰に関しては、今後、本人がFA宣言することが前提となる。その意味では、まだまだ分からない。今でも福岡に家を持ち続ける一方で、東京で既に学校に通う子供の問題などもあると聞く。また、責任感が強いだけに、現在のGiantsの状況をも考えるに違いない。


だが、小久保の復帰が実現するにせよ、しないにせよ、小久保を呼び戻そうとする、この球団の姿勢が何より嬉しいではないか。
ソフトバンクがHawksのオーナーとなり、王さんに全幅の信頼を寄せて、王さんを全面的にサポートしてくれている。そして、福岡のファンの悲願でもある小久保復帰を目指してくれている。
こんなに嬉しいことはない。

もうひとつの、この、想い、願いはかなうのか?
日本一となった2003年オフの小久保放出以来、3年連続プレーオフ2ndステージ敗退、と苦しみ、もがき続けてきたHawksとファン達にとって、久々にこの上ない歓びとなるのか、期待せずにはいられない。


【関連エントリー】
小久保、Hawks復帰?! (December 16, 2004)

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投稿者 zetton05 : 2006年10月14日 16:19

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Comments

叶ってほしい。
いや、絶対に叶わせなければ!

投稿者 YOKOHAMA☆LINER : 2006年10月14日 16:35

こんにちは。
2003年のオフ、優勝した喜びが吹っ飛んでしまうほどショックでした。
というかホークスファンをやめてやる!と叫んでました。
まだまだ小久保選手自身や巨人の動向がわからない状況ですけれど…
けれどこのことが叶えば、今シーズンの敗戦のショックから抜け切れそうです。
『サードベースメン小久保裕紀 背番号9』
とヤフードームでコールされる日を信じて待ちたいです。

投稿者 Jey : 2006年10月14日 16:41

当時の詳しい背景は知りませんでした。。
戻れると良いですよね。パリーグの選手を巨人はこれ以上見殺さないでくれ。

投稿者 かぶ : 2006年10月14日 17:24

思い出します...あれは確か優勝パレードの次の日
まだまだ喜びに浸っていた朝の、衝撃的な出来事でした
ついでにあのお二方のお顔も、久々に思い出しましたヨ(笑)
本当だったらどんなにか、うれしいことでしょう~
あの1年は選手もファンも背番号9のために戦ったといっても
いいくらい、1つになっていましたものね
完治して翌年、福岡ドームのバッターボックスに立ってくれることを祈りながら...

今日はこちら地方TVでも言ってましたので、ちょっぴり元気がでました
それにしても...とうとうプレーオフに倍返し出来ませんでした
あ、もう終わったことですね

投稿者 しも1 : 2006年10月14日 21:08

> YOKOHAMA☆LINER さん

Hawksファンは、この3年連続のV逸に、毎年オフの恒例行事のように主力選手の流出を味あわされて来ました。
たまには、こんな明るいニュースが実現して欲しいですね♪

投稿者 HiRO@zetton05 : 2006年10月14日 21:23

> Jey さん

いや、本当、当時は日本一の歓びに浮かれた頭を、背後から思い切りハンマーで殴りつけられたかのような、予期せぬ、そして本当にショッキングな出来事でした。

小久保自身は17日から11月初旬まで渡米、渡米前日の16日にGiants球団代表と会談、とも言われてます。
以下、本人談。
「FAするかしないかは向こうに行っている間に決める。どの球団にするかまでは決まらんやろ。」
Hawksからの誘いについては、
「移籍から3年経ってもそう言ってもらえるのはありがたい。」

まだ、どちらとは言い難い状況ですが、是非ともHawks復帰が実現することを願ってやみません。

投稿者 HiRO@zetton05 : 2006年10月14日 21:34

> かぶ さん

そう、結局当時のダイエーのお家騒動に翻弄された挙げ句の人身御供のようで、小久保自身が哀れでなりませんでした。
オマケに、馬鹿息子は、保身に走ったくせに記者会見で一人で泣いとるし。

いや、ホントにパ・リーグの宝をGには一杯腐らせて貰いましたから、一刻も早く、戻ってきて欲しいですね。

投稿者 HiRO@zetton05 : 2006年10月14日 21:51

> しも1 さん

そうでしたね。優勝パレードの翌日に頭から冷や水をぶっかけられて祝賀ムードも吹き飛んでしまいました。
あと1年早くソフトバンクに球団買収して貰えていれば、小久保も井口も失わずに済んだかも。ま、こんなこと言っても仕方ないですけど(苦笑)

結局、このプレーオフ、全てに2ndステージで戦いながら、とうとう乗り越えることが出来ませんでしたね。残念でした。
でも、今季は、良くやったと思います、現有戦力で。選手達を褒めてやりたいですね。

お疲れ様でした。
心機一転、来年から挑戦者として頑張りましょう!

投稿者 HiRO@zetton05 : 2006年10月14日 21:57

ロッテファンでありながら、小久保がFA権を取る日をずっと待っていました。やっと3年経ったんですね。
是非是非、パ・リーグに帰ってきて欲しい。ジャイアンツからパ・リーグに帰る、その先陣を切ってほしいと勝手に思ってます。

投稿者 siro : 2006年10月15日 21:02

> siro さん

コメントありがとうございます。

> ジャイアンツからパ・リーグに帰る

確かに!
パ・リーグファンとして見れば、最高の垂涎の出来事と言えますね。
是非、実現して欲しいものです!

投稿者 HiRO@zetton05 : 2006年10月16日 01:58

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