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2007年11月13日

鉄腕逝く

「神様、仏様、稲尾様」
日本シリーズ3連敗の後の4連投、4連勝でGiants相手に奇跡の大逆転日本一。

福岡に生まれ育ったとはいえ、自分の世代は現役時代を知る由もなく、子供心に記憶しとるのは太平洋クラブライオンズの監督姿かな。

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が、こちらが聞いてもいないのに、福岡の大人の誰しもが、
「現役時代は、そりゃぁもう、ちぎっては投げ、ちぎっては投げ、の快投で、西鉄を日本一にした大エース」
と教えてくれるのだ。
そう、博多っ子ご自慢、西鉄ライオンズ黄金期を象徴するピカピカの伝説の大エース、それが「鉄腕」稲尾和久だった。

その鉄腕が逝った。

つい最近まで解説をやっていたし、それこそ先月、稲尾記念館と別府市民球場の落成式で、元気な姿を見せていたのに…

鉄腕が逝った 元西鉄稲尾和久氏が急死

 鉄腕が逝った。元西鉄ライオンズの投手で、同球団や太平洋クラブ、ロッテの監督を務めた稲尾和久氏が13日午前1時すぎ、悪性腫瘍(しゅよう)ため福岡市内の病院で死去した。享年70。稲尾氏は10月30日、福岡市内の病院に入院。検査を続けてきたが、この日、容態が急変し帰らぬ人となった。現役時代は日本シリーズ3連覇の立役者になるなど活躍し、ユニホームを脱いだ後も球界の発展に寄与。しかし最近は体調を崩し、マスターズリーグの福岡ドンタクズ監督、沢村賞の選考委員などの職から離れ、静養していた。

 突然の悲報だった。10月末に入院し、検査を続けていた稲尾氏だが、容態が急変して、13日午前1時すぎ、悪性腫瘍(しゅよう)のため帰らぬ人となった。当初は1週間程度の検査入院の予定だったが、検査でも病名が特定できず、医師との相談の上、当面の仕事を控えることを決めていた。日刊スポーツの評論家活動をはじめ、地元福岡のテレビ局の出演、すでに開幕したマスターズリーグの福岡ドンタクズ監督の職、名球会の仕事などから離れていた。西鉄時代に「鉄腕」と呼ばれた右腕も病魔には勝てなかった。

 現役時代は、まさに伝説の連続だった。西鉄に入団した56年ルーキーイヤーで21勝、防御率1・06で新人王に輝くと、その年から3年連続日本一に貢献。58年の日本シリーズでは巨人に3連敗しながら、稲尾の4連投で4連勝。奇跡の逆転日本一の主役を演じ「神様、仏様、稲尾様」と呼ばれた。57年から3年連続30勝以上、61年にはシーズン最多タイの42勝、57年には20連勝の最多連勝記録を打ち立てた。日本プロ野球界の歴史に大きくその名を残し、プロ野球ファンの心に大きな印象を残した。先発として、中継ぎとして、連投して勝利する姿は、まさに「鉄腕」そのものだった。

 69年引退後は、西鉄、太平洋の監督を務め、78年から中日の投手コーチ、84年から3年間はロッテの監督も務めた。ユニホームを脱いでからは、評論家として野球界の発展に寄与。93年には野球殿堂入りを果たし、名球会の会長代行も務めるなど、精力的に活動を行っていた。
 昨年11月23日には、福岡市内のホテルで「プロ野球人生50周年記念パーティー」を開いた。ソフトバンク王監督ら詰め掛けた球界関係者ら約500人から祝福を受け「まだまだ元気でいたい。孫たちが野球選手になってほしいけど、せめてキャッチがきちんとできるくらいは頑張りたい」と話していた。

 また、今年10月2日、大分・別府市に「稲尾記念館」が開館。記念館が入っている別府市民球場の落成式に出席し、元気な姿を見せていた。記念館には寄贈のユニホームや表彰盾などが展示され、自らの投球フォームのブロンズ像を除幕した稲尾氏は「これを見た子供がまねしてくれれば」と喜んでいた。自分を育ててくれた地元別府市に「第2の稲尾」が育つような環境づくりにも全力を注いでいた。

 日本が生んだ鉄腕。「神様、仏様、稲尾様」と呼ばれる伝説の投球を生んだ九州福岡の地を愛した右腕は、天国へと召され伝説の人となった。

稲尾和久記録アラカルト

 ◆通算成績 14シーズン(56~69年)756試合276勝137敗。3599投球回、防御率1・98、2574奪三振

 ◆プロ野球記録 最優秀防御率5回、シーズン最多勝利(61年42勝)、最多連続勝利(57年20連勝)

 ◆パ・リーグ記録 最多勝4回、ベストナイン5回、シーズン最多登板(61年78試合)、シーズン最多投球回(61年404回)、シーズン最優秀防御率(56年1・06)通算最多シーズン20勝以上8回など

 ◆タイトル 最高勝率2回(57、61年)、最優秀防御率5回(56~58、61、66年)最多勝利4回(57、58、61、63年)最多奪三振3回(58、61、63年)

 ◆表彰 新人王(56年)、最優秀選手2回(57、58年)、ベストナイン5回(57、58、61~63年)、最優秀投手2回(57、58年)連盟特別表彰2回(57、61年)

 ◆日本シリーズ 出場4回(56~58、63年)18試合登板、防御率2・45。通算最多の完投9回、11勝。58年MVP

 ◆監督成績 通算8年10シーズン(70~72年西鉄、73年前期~74年後期太平洋、84~86年ロッテ)431勝545敗64分け、勝率4割4分4厘。最高成績は84、85年のロッテ2位。

 ◆殿堂 93年に競技者表彰で野球殿堂入り。

[2007年11月13日9時54分 日刊スポーツ紙面から]


九州、福岡の地と、野球を愛していた。
Lionsが福岡を去った後、球団誘致運動の先頭に立ち、福岡への移転を目指してOrionsの監督まで引き受けた。その頃に、落合と出会い、野武士と同じ匂いを嗅ぎ取ったという。

結局、Orionsの移転はならなかったけど、誘致運動はHawksの福岡移転という形で結実する。

「オレたちが戦った平和台はなくなってしまったし、球団もライオンズではなくなったけど、福岡には野球ファンがいる。オレには福岡にプロ野球チームとファンがいることが一番なんだよ。」

その伝説の大エースのイメージからは想像もつかないほどに、全く偉ぶることもなく飾らない気さくな人柄。福岡ローカルの番組には普通に出とったもんね。
それと評論家としても、必ずキャンプに足を運ぶ姿があったっけ。キャンプやオープン戦を観もせずに偉そうに語る評論家も多いなかにあって、現場主義、といえば聞こえはいいけど、単にグランドの匂いが好きだったに違いない。稲尾さんを見とるとそう思えてしまうんよね。

ちなみに、自分が子供の頃住んでいた地域の一番近い野球用品店が「稲尾スポーツ」。
そう、稲尾さんのお店だ。
当然、野球道具を買いに行くといえば、稲尾スポーツにチャリで行く、そんな環境だった。もちろんご本人が店に立っているわけではないが、そんなところにも親近感を感じたものだ。


神様、仏様、稲尾様。永い間、ご苦労様でした。
九州の、福岡の野球は大丈夫ですよ、きっと。
王さんも
「遺志を継いで、我々が九州の野球を盛り上げたい。遺志を受け継いで頑張りたい。」
って仰ってますからね。
サヨナラはいいません。ありがとうございました。

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これからも、仰木さんと一緒に野球を愉しんでください。

今頃は、仰木さんと久々の再会で呑んだくれとるんかなぁ…

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投稿者 zetton05 : 2007年11月13日 20:59

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朝 いつものように早朝ウォーキングから帰ると ダーがTVを見据えたままフリーズしていた あまりに突然なことで言葉もありません ご冥福をお祈りします ... [続きを読む]

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私は昭和42年生まれですので、稲尾さんの全盛期は全く知りません(あの日本シリーズ3連敗後4連勝なんて見てみたかった)。西鉄→太平洋クラブの監督時代というの... [続きを読む]

トラックバック時刻: 2007年11月14日 00:54

Comments

稲尾さんのコラムや解説は厳しくも暖かく って言うよりいつまでも野球小僧みたいな目線で嬉しかったもんです(涙)

そうそう うちのブログにカナダのhanazono姐さんが鉄腕稲尾のリアルタイムの思い出を書かれていて 思わず泣きそうになりました(仕事中なのに)

投稿者 ぼたん : 2007年11月14日 10:30

残念です...
まさかの思いでいっぱいです
王監督も稲尾さんを抜きに野球は語れないと
仰っていました
ご活躍の記憶はありませんが、素晴らしい記録と共に
後世にも伝え継がれることでしょうね

すみません...穴があったら入りたい気持ちです
まさかHIROさんと同じタイトルになっていたなんて...
稲尾さんというとパッとこの言葉しか浮かびませんでした
被ってしまい申し訳ありません
(でもちょっとうれしかったりしています)

投稿者 しも1 : 2007年11月14日 14:29

ぼたんさん

そう、野球と、そして選手達への愛情に溢れてましたよね。だから厳しいことをズバズバ言っても、ちっとも嫌な感じがしない。後に感じるのは温かさ。
ホントに、野球と福岡が大好きでしょうがない、それがブラウン管越しにも感じられました。

リアルタイムの想い出、ちょっと羨ましいですね♪

自分らのリアルタイムは1999年の初優勝。福岡ドームで観た胴上げは最高の想い出です。
日本シリーズはナイターだったので会社から皆堂々とドームやキャナルに向かってましたが(笑)

投稿者 HiRO@zetton05 : 2007年11月15日 00:03

しも1さん

稲尾さんの場合、その功績もさることながら、その飾らぬお人柄も素晴らしい。福岡に移ってきた選手達を、まるで我が子のように可愛がって声を掛けてましたね。
たった3年の付き合いだった落合博満もホントに一緒に過ごした時間を惜しんでました。

あ、タイトルなんてお気にせず…(笑)
これは、きっと、誰でも被りますよ(苦笑)

投稿者 HiRO@zetton05 : 2007年11月15日 00:08

しかしその稲尾さんの後を継ぐ男があれから一週間経って現れるとはと思いましたがやはり「あの男」には稲尾さんの後を継ぐような「鉄人」ぶりを発揮してほしいですね。

投稿者 はちかづき : 2007年11月20日 14:15

はちかづき さん

鉄腕の遺志を受け継ぎ「九州の野球を盛り上げる」と誓った王監督が「九州を代表して」引き当てた「鉄腕2世」。
その名を本当に継承して八面六臂の活躍を魅せて欲しいものです。4本柱もうかうかしてられませんよ。
ホントに愉しみです。

投稿者 HiRO@zetton05 : 2007年11月22日 00:54

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