2008年10月02日
世代のヒーローが去る…
清原和博。41歳。
K.K.世代と呼ばれた、自分たちの世代にとって、小学生時代のヒーローが王貞治なら、同い歳のヒーローと呼べる存在が清原和博だ。
同学年の現役選手が引退する度に寂しさを感じてきた。
そして、最期に残ったのが、結局、この世代の代名詞とも言える桑田と清原だった。
桑田は今季春、一足先に引退。
その報に、清原は自身のなかでの桑田の存在の大きさを悟ったという。
「桑田が今年引退して、自分の心がそこまで桑田に依存していたのかと知らされた。3日間休みましたもの。それだけぽっかり心に穴があいた。同じ年にやめることにも、運命を感じます。」
その清原も遂にグラウンドを去る。
ユニフォームを脱ぐタイミングを、自らの決断に委ねられるというのは非常に稀なこと。
今季でユニフォームを脱ぐ王監督同様、特別な存在にのみ許された幸福。
試合前、その王監督から花束をもらった時、一瞬にして涙を浮かべた清原。
「生まれ変わったら同じチームでホームラン競争をしよう。」
そう、声をかけられたらしい。
ドラフトでの出来事を、清原は長い間胸に貯め込んでいた。それを、編成のやることと監督とは別だと理解し、近年になってやっと瓦解した。
普段、このことに言及することのない王監督。
「巨人に入りたいというのを、もろもろの事情で実現できなかったけど、彼の野球人生は輝かしいものだった。タイトルには手が届かず残念だったが、華のある選手だった。プロ野球の世界は実力のある選手は多いが、華のある選手は少ないからね。」
清原の引退挨拶。
自分を支えてくれた人達への感謝に、感謝の念に溢れていたね。ほとんどその全てが感謝の言葉だった。
Giants入りして以降は、ダークヒーロー化され「番長」キャラを押しつけられた清原。が、本人は、その表情からもうかがい知れるように、本当に純粋な子供のような人間なんだろうと思う。
Giantsのユニフォームに袖を通し、バッシングを浴び、ムキになって身体を大きくしてから、あの天性のしなやかなバッティングが失われたのは残念だった。と同時に、あれだけ「フォア・ザ・チーム」の塊だった清原のバッティングが「大きなホームラン」狙いに変わって引っ張り専門になってしまった。
Lions時代のそのバッティングを知るファンとしては、なんで清原があんな扱いをされてこんなバッティングをするようになってしまったのか、という実に悔しい想いが残る。
が、Lions時代の監督、森祇晶氏のこの言葉には救われる。最高の讃辞といってもいい。
「とにかく野球に純粋な男だったと思う。西武で何年間も連続して優勝したチームの4番を務めてくれたことこそが、立派な「タイトル」だと思いますね。」
また、PL学園高時代の監督、中村順司氏(現名古屋商大監督)も、こう語っている。
「フォア・ザ・チームの姿勢でプレーしていた。(自分が)本塁打を打てとけしかけたら、もっと打っていたかもしれない。」
「フォア・ザ・チーム」の精神は、CSには出場しない、との決断にも表れとるよね。
そんな清原が、またパ・リーグに帰ってきたのは嬉しかった。
その機会を作ってくれた仰木さんへの感謝の念に言葉を詰まらせる清原──。
本人も語るように、Giantsで選手生命を終えていたら、辛く、苦しい記憶しか残らなかったかもしれない。
また再びパ・リーグの空気に触れることで、本人的にも随分救われたのではないだろうか。
全球、真っ直ぐ勝負の杉内には、4打席目、三振のあとアンパイアから渡されたボールにサインして杉内に渡したという。
杉内へ 最高の球をありがとう 清原和博
自身の最期の打席の記念ボール。なんとも粋な計らいだ。
プロ野球選手のなかでも、自らの意志でユニフォームを脱ぎ、これだけの華やかな引退の花道を用意してもらえる選手というのは、本当にごくごく一握りの存在、僅かしかいない。
清原和博、本当に幸せ者である。
……それにしても、王さんに、清原に、と妙に寂しいオフやね。
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